2008年02月27日
お辞儀の美しさ
『篤姫』(NHK大河ドラマ)を見ています。涙腺に来るので、なるべく録画を一人で見てます。
下の記事が暗いのは、たぶんにこのドラマの影響があります。
篤姫が、ご本家のお殿様に見込まれて、分家からご養女となることに決まったあと・・・ずっとご教育係り兼ばあやだった”きくもと”なる老女は、自害して自分という存在を消してしまうのです。
篤姫がお城に上がる時(それはまだ正式の別れではなく、打ち合わせのための登城だったんですが・・・)、お供としてついていかずに、見送りにでたシーン・・・正座してきちっとお辞儀。
泣けてなけて仕方がなかったのです。
仕えた姫様の見事な成長ぶり。嬉しいと共に、淋しい気持ち・・・その他に、畏れ多いという気持ち。
最近、私は娘にも同じような気持ちを抱いているんです。
畏れ多いというよりは、教育という名の下に、相手をスポイルしてしまったんじゃなかろうかという思いを抱いています。
教育する、しつけをする・・・大事なことです。
で、今まで赤ちゃんから育ててきたわけです。
「~しなさい!」「早くしなさい!」「それは、こうするべきでしょう!!」
ほんとうは・・・自分でもどうするべきなのかわからない、あるいは不確かな事柄であったとしても、教える立場では・・・ある指針を正しいとして教えざるを得ません。
わが子可愛さのあまり、なるべく早く正しい結論に至ってほしい。出来れば、学校のテストでも負けないでほしい、時間の管理もへたくそで、実は中学一年の今年度、各定期テストは、テスト勉強というよりは、そのテスト日に提出すべきドリルを間に合わせることしかできない娘に、あきれ果てながらも・・・その”ミッション”を早く終わらせて睡眠をとらせてあげたい・・・効率よく終わらせてあげたい・・・とかなり、出しゃばってきたんです。
おかげで、よけい”最後は、ママが何とか手伝ってくれるかも”という淡い依存心をもつ、ひ弱な精神になったかもしれません。ぐずぐずしていても、「残り時間はこれだけ、やる課題はこれだけ、どうする?どっから手をつける?」としゃしゃり出てくるママが・・・。
娘が先日、方程式の文章題に手こずっていたのです。40分かけても解けないのに、ずっと問題をみているのです。これ以上でしゃばらないでいようと思っていたのも忘れ、「洗濯物を干したら、解説しようか?ほら、ちゃれんじさんの本になんか似たようなの、なかった?それ見てやれば?」
娘は「う~ん、今、なんかこうひらめきそうなんだけど・・・ああ、もうそこまで・・・」
私は内心、絶対アレは言い訳だ、勉強したくないから、ぐずぐずとやっているのだと思いこみ、よ~し、手があいたらガンガンに類題を解かせて、あの一問を処理させねば・・・」といらいら自分の仕事をやりつつ・・・自分でその文章題の解法と、いかに娘にそれを得心させてやるかを考えていました。
そうして、仕事を終えてから、娘の所へ。どうやら、まだ薄ボンヤリの表情。やっぱり!と勢い込むと、おずおずと書いた式は私のものとは違っていました。私は、数学が得意じゃないので、それでも正解へ向かって3つの式を考えて導いてたんですが、その私の考えつかなかった、たった1行の式。最初は、「何これは?」と思い、理解できなかったのですが、見事正解をみちびくシンプルな式でした。薄ボンヤリだったのは、自分で自信が持てなかったからのようです。「こういう式を立てれば、たぶん解が出る、でも、それは正しい解かどうか分からない・・・」という娘の言い訳に、私は「じゃ、その解を文章題に入れて、矛盾しないかどうか検算したりすれば、良かったでしょう?」というと、
娘が「うん、だから検算しようかとしていたら、ママが来て”どこまで出来たの?”って聞くから、とりあえず式と解を見せていたところなんだけど・・・。」
そうか・・・私が先回りしすぎか・・・40分ぼ~~っと文章題を眺めている娘なんて、絶対に”よい高校”に行けるはずがないから、ああ、可哀想、ああ、勿体ないと地団駄踏んでいる私は、娘のジャマをしているだけなんだ・・・
そう気付いた瞬間でした。
娘を溺愛し、テニス始めたのも、娘が自主練するのに困るだろうとテニスの基礎を学んできたのも、娘が生まれるから仕事を辞めたのも、ただの私の勝手で・・・。
私には、娘をスポイルする(駄目にする)権利などないのです。
娘は、テニスもガツガツやらず、淡々とやっています。私の目からみると、それも歯がゆい・・・のです。
先日、娘のコーチが娘に
「今に、コーチより上手くなるだろう、その予定で一生懸命に教えている・・・」
と言いました。娘は自分よりはるかに上手ではるかに背も高く、フットワークもコントロールもある20代の男性コーチより、自分が上手くなるとは到底想像できなかったようですが・・・。
そう、たぶんそうなのです・・・娘には、はるか自分を越えていってもらえねば困る、よしんばダメダメブリ婆よりもさらにダメダメぶりの体たらくから、今後抜け出せない娘であったとしても・・・。
自分で自分を高めていく、そういう力を自分の中から出していって欲しいと思うのです。
ジュニアの試合を見ていても、もちろん今までも口出ししていません。実は、母もテニスがよく分かっていないので・・・それは良かったなと、胸をなでおろしています。コメントも、ワイドショーのコメンテーターばりに無責任な域を出ません。
「いや~、あの(高校生の)おにいちゃんのスマッシュ、めちゃ怖かったね~。よけなきゃあかんよ?ネットが守ってくれてよかったねぇ」
「うん、今日はネットにたくさん感謝した・・・けど、ママ、あれ、たぶんあの人、手加減してくれて打ったから、ネットしたんだと思う~。」
「ははぁ、そんなもんですか。見てるだけじゃわからないもんやねぇ。」
娘を責める口調にならないようにしようとすると、大阪弁もどき(?)になる私です。
最後は、娘を見送りたい・・・
脱帽して、よくぞここまで育ってくれましたと美しくお辞儀をしたい・・・振り返って、私は精一杯娘をスポイルしませんでしたと内心、納得してお辞儀をしたい・・・と今は考えてます。
下の記事が暗いのは、たぶんにこのドラマの影響があります。
篤姫が、ご本家のお殿様に見込まれて、分家からご養女となることに決まったあと・・・ずっとご教育係り兼ばあやだった”きくもと”なる老女は、自害して自分という存在を消してしまうのです。
篤姫がお城に上がる時(それはまだ正式の別れではなく、打ち合わせのための登城だったんですが・・・)、お供としてついていかずに、見送りにでたシーン・・・正座してきちっとお辞儀。
泣けてなけて仕方がなかったのです。
仕えた姫様の見事な成長ぶり。嬉しいと共に、淋しい気持ち・・・その他に、畏れ多いという気持ち。
最近、私は娘にも同じような気持ちを抱いているんです。
畏れ多いというよりは、教育という名の下に、相手をスポイルしてしまったんじゃなかろうかという思いを抱いています。
教育する、しつけをする・・・大事なことです。
で、今まで赤ちゃんから育ててきたわけです。
「~しなさい!」「早くしなさい!」「それは、こうするべきでしょう!!」
ほんとうは・・・自分でもどうするべきなのかわからない、あるいは不確かな事柄であったとしても、教える立場では・・・ある指針を正しいとして教えざるを得ません。
わが子可愛さのあまり、なるべく早く正しい結論に至ってほしい。出来れば、学校のテストでも負けないでほしい、時間の管理もへたくそで、実は中学一年の今年度、各定期テストは、テスト勉強というよりは、そのテスト日に提出すべきドリルを間に合わせることしかできない娘に、あきれ果てながらも・・・その”ミッション”を早く終わらせて睡眠をとらせてあげたい・・・効率よく終わらせてあげたい・・・とかなり、出しゃばってきたんです。
おかげで、よけい”最後は、ママが何とか手伝ってくれるかも”という淡い依存心をもつ、ひ弱な精神になったかもしれません。ぐずぐずしていても、「残り時間はこれだけ、やる課題はこれだけ、どうする?どっから手をつける?」としゃしゃり出てくるママが・・・。
娘が先日、方程式の文章題に手こずっていたのです。40分かけても解けないのに、ずっと問題をみているのです。これ以上でしゃばらないでいようと思っていたのも忘れ、「洗濯物を干したら、解説しようか?ほら、ちゃれんじさんの本になんか似たようなの、なかった?それ見てやれば?」
娘は「う~ん、今、なんかこうひらめきそうなんだけど・・・ああ、もうそこまで・・・」
私は内心、絶対アレは言い訳だ、勉強したくないから、ぐずぐずとやっているのだと思いこみ、よ~し、手があいたらガンガンに類題を解かせて、あの一問を処理させねば・・・」といらいら自分の仕事をやりつつ・・・自分でその文章題の解法と、いかに娘にそれを得心させてやるかを考えていました。
そうして、仕事を終えてから、娘の所へ。どうやら、まだ薄ボンヤリの表情。やっぱり!と勢い込むと、おずおずと書いた式は私のものとは違っていました。私は、数学が得意じゃないので、それでも正解へ向かって3つの式を考えて導いてたんですが、その私の考えつかなかった、たった1行の式。最初は、「何これは?」と思い、理解できなかったのですが、見事正解をみちびくシンプルな式でした。薄ボンヤリだったのは、自分で自信が持てなかったからのようです。「こういう式を立てれば、たぶん解が出る、でも、それは正しい解かどうか分からない・・・」という娘の言い訳に、私は「じゃ、その解を文章題に入れて、矛盾しないかどうか検算したりすれば、良かったでしょう?」というと、
娘が「うん、だから検算しようかとしていたら、ママが来て”どこまで出来たの?”って聞くから、とりあえず式と解を見せていたところなんだけど・・・。」
そうか・・・私が先回りしすぎか・・・40分ぼ~~っと文章題を眺めている娘なんて、絶対に”よい高校”に行けるはずがないから、ああ、可哀想、ああ、勿体ないと地団駄踏んでいる私は、娘のジャマをしているだけなんだ・・・
そう気付いた瞬間でした。
娘を溺愛し、テニス始めたのも、娘が自主練するのに困るだろうとテニスの基礎を学んできたのも、娘が生まれるから仕事を辞めたのも、ただの私の勝手で・・・。
私には、娘をスポイルする(駄目にする)権利などないのです。
娘は、テニスもガツガツやらず、淡々とやっています。私の目からみると、それも歯がゆい・・・のです。
先日、娘のコーチが娘に
「今に、コーチより上手くなるだろう、その予定で一生懸命に教えている・・・」
と言いました。娘は自分よりはるかに上手ではるかに背も高く、フットワークもコントロールもある20代の男性コーチより、自分が上手くなるとは到底想像できなかったようですが・・・。
そう、たぶんそうなのです・・・娘には、はるか自分を越えていってもらえねば困る、よしんばダメダメブリ婆よりもさらにダメダメぶりの体たらくから、今後抜け出せない娘であったとしても・・・。
自分で自分を高めていく、そういう力を自分の中から出していって欲しいと思うのです。
ジュニアの試合を見ていても、もちろん今までも口出ししていません。実は、母もテニスがよく分かっていないので・・・それは良かったなと、胸をなでおろしています。コメントも、ワイドショーのコメンテーターばりに無責任な域を出ません。
「いや~、あの(高校生の)おにいちゃんのスマッシュ、めちゃ怖かったね~。よけなきゃあかんよ?ネットが守ってくれてよかったねぇ」
「うん、今日はネットにたくさん感謝した・・・けど、ママ、あれ、たぶんあの人、手加減してくれて打ったから、ネットしたんだと思う~。」
「ははぁ、そんなもんですか。見てるだけじゃわからないもんやねぇ。」
娘を責める口調にならないようにしようとすると、大阪弁もどき(?)になる私です。
最後は、娘を見送りたい・・・
脱帽して、よくぞここまで育ってくれましたと美しくお辞儀をしたい・・・振り返って、私は精一杯娘をスポイルしませんでしたと内心、納得してお辞儀をしたい・・・と今は考えてます。
投稿者 ブリ婆 12:37 | コメント(0)| トラックバック(0)
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